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須藤 宰 代表取締役社長 (ビニール傘工房にて)

Vol.023 | 17.02.02 | ものづくり

高級ビニール傘に込められた老舗企業の思い

江戸時代から続く老舗の傘メーカーが世界で初めて開発したビニール傘。様々な工夫がこらされた究極の傘の誕生物語。

第二次大戦後、ビニール製の「傘カバー」が大ヒット

ホワイトローズ株式会社の歴史は江戸時代の享保6年(1721)までさかのぼる。創業当時は刻み煙草の卸問屋だったが、後に雨具商に転身し、明治になってからは洋傘の製造・販売にも取り組んだ。第二次大戦後の1949年、須藤三男氏(ホワイトローズ前社長)はシベリア抑留から帰国し、傘の事業を再開しようとするも材料の仕入れ先を同業他社に抑えられてしまっていた。そこで新製品の開発を考え始めた三男氏は、進駐軍が持ち込んだテーブルクロスに使われていた新素材「ビニール」に注目する。当時の傘の生地は綿が主流で、雨が降れば水漏れするのが当たり前。染色すると色落ちし、滴が衣服を汚すこともあった。それなら傘にビニール製のカバーをかければ傘を濡らすことがなく、完璧な傘ができあがるのではないか。当時としては斬新なアイデアだった傘カバーは大ヒット商品となり、人々は傘を買う時に傘カバーをいっしょに買い求めていったという。

しかし合成繊維のナイロンが登場し、防水性に優れ、加工しやすい傘の素材として採用されるにつれて、ビニール製傘カバーの需要は激減することになる。ホワイトローズは傘カバーに変わる新たな製品開発に取り組むことになる。


ビニール製の「傘カバー」


世界初の「ビニール傘」を開発するが、傘業界から反発に直面

完璧な防水性を持つビニールは傘に最適な素材であることは間違いない。ならばビニールを直接傘骨に張れば……という発想から、ホワイトローズは世界初のビニール傘を開発。三角形に切ったビニール素材を高周波ウェルダー加工で接着する工法も作り上げた。ところが傘カバーとは違って、ビニール傘は業界から「こんなものは扱えない」と、予想外の反発を受けてしまう。傘は繊維素材を使って職人が手作業で作るものという認識が強かったため、職人不要で工場で生産するビニール傘は既存体制への挑戦と受け止められたのだ。

ホワイトローズは口コミに頼ったり、銀座の路面店に直接商品を持ち込んだり、「いつかビニール傘を日本中に広めたい」という思いで販路確保に奔走する。東京オリンピックで来日した海外バイヤーの目に止まり「アメリカで売りたい」とオファーをもらったり、修学旅行で上京した学生がお土産に買って帰ったり、少しずつビニール傘の認知度は高まっていく。また様々な色や柄が印刷できることからファッションアイテムとして注目されるようになった。


ホワイトローズ製のビニール傘


皇室でも使われた究極のビニール傘を開発

その後ビニール傘は日本中で使われるようになったものの、そのほとんどが安価な海外生産品であり、国内のビニール傘製造業者は次々と撤退し、結局ホワイトローズだけとなってしまう。そんな時、選挙を控えたベテラン議員から「大きくて透明で丈夫な傘が欲しい」という注文が舞い込んだ。演説中の風雨に負けず、候補者の顔がしっかりと見え、庶民らしさを演出してくれるビニール傘が欲しいという。それに答えて作り上げた骨にFRP(グラスファイバー)素材を使い、雨を通さず内からの風の通り道となる「逆支弁」という穴(特許取得)を設けた特別仕様のビニール傘は評判を呼んだ。数千円という高額商品ながら、選挙の度に多くの候補者が買い求めるようになり、やがて報道分野や政府関係者、さらには皇室でも使われるようになり、メディアでも紹介されることが増えた。

代表取締役社長の須藤宰氏は「雨が降ると傘で視界をふさいでしまうのはそもそもおかしい。傘が透明ならば安全な上に、周囲にも気を配りやすい」とビニール傘の利点を語る。ビニール傘は使い捨てというイメージが強いが、ホワイトローズでは長く使ってもらえるように、修理にも丁寧に対応している。


逆支弁


ホワイトローズ株式会社 ホームページ
http://www.whiterose.jp/
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